

みなさん、こんにちは。
ルネッサンス芸術の宝庫、イタリア・フィレンツェでの観光で必見の美術館『ウフィツィ美術館』。自身で撮影した写真をもとに芸術作品についてまとめてみましたので、こちらでご紹介したいと思います。
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ駅からウフィツィ美術館への行き方
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ駅からウフィツィ美術館までは、徒歩で約20分程で行くことができます。
途中にサンタ・トリニータ橋があります。
ヴェッキオ橋を撮影するのに絶好のスポットです。フェラガモの本店のすぐそばの橋です。


ウフィツィ美術館の予約方法

フィレンツェでの滞在が数日だったので、事前にウフィツィ美術館予約公式サイトからオンラインでチケットを予約購入したので、とてもスムーズでした。
私が予約したのは土曜日の朝8時半からのものでしたが、当日は朝早いということもあって、それほど混雑しておらず、ホテルからウフィツィ美術館までの朝の散歩もとても気持ちが良かったです。
*予約のサイトは、ウフィツィ美術館以外の他の美術館の予約も兼ねたサイトとなっていますので、間違えないように気をつけてください。
*ウフィツィ美術館公式予約サイト/B-ticket(英語)→→→
ウフィツィ美術館の芸術作品の中の73作品









































































作品 No.1〜20

1. 聖家族 ミケランジェロ・ブオナローティ La Sacra Famiglia con san Giovannino
ミケランジェロ・ブオナローティにより1507年ごろに制作されたこの作品は、現存する唯一完成したパネル絵画で、別名トンド・ドーニ(Tondo Doni)と呼ばれています。円形の絵画のことをトンド(Tondo)といいます。
トスカーナの有力な家庭の娘マッダレーナ・ストロッツィとの結婚を記念して夫のアニョロ・ドーニからの依頼で描かれた作品とされています。当時のままの額装ということでもよく知られています。

2. 受胎告知 レオナルド・ダ・ヴィンチ Annunciazione
レオナルド・ダ・ヴィンチとアンドレア・デル・ヴェロッキオが1472年から1475年ごろに描いた作品です。レオナルド・ダ・ヴィンチのデビュー作品としても知られています。
大天使ガブリエルがキリスト受胎を告げるために聖母マリアのもとを訪れた場面が描かれています。
ウフィツィ美術館は1867年にフィレンツェ近郊に位置する聖バルトロメオオリーヴ山修道院から入手しました。

3. ヒワの聖母 ラファエロ・サンティ Madonna of the Goldfinch
ラファエロが1506年にフィレンツェの大聖人の結婚祝いとして依頼された作品です。聖母マリアの膝の間に立っているのがキリスト、手に持ったひわ(鳥)をイエスに差し出そうとしているのが聖ヨハネです。

4. ヴィーナスの誕生 サンドロ・ボッティチェッリ La Nascita di Venere
サンドロ・ボッティチェッリが1483年頃に描いた作品で、ギリシア神話で語られている女神ヴィーナスが成熟した大人の女性として、海より誕生し出現した様子を描いています。

5. プリマヴェーラ サンドロ・ボッティチェッリ Primavera
サンドロ・ボッティチェッリが1482年頃に描いた作品でロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの結婚を祝う目的で描かれたと考えられています。
美しく豊かな春の訪れを擬人的に表現した作品で、右から順に春を告げる西風の神ゼピュロス、妖精クローリス、春の女神のフローラ、女神ヴィーナス、美の女神、貞潔の女神、愛の女神の三美神、商人や旅人の守護神マーキュリーとされています。

6. メドゥーサ ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ Medoūsa
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオによって1596年から1597年に制作された作品です。カラバッジョのパトロンであるカーディナル・デル・モンテがトスカーナの公爵に絵を進呈しました。英雄ペルセウスが無数の蛇でできた髪を持つメデューサの首を盾として使い敵を石に変えたというギリシャ神話からトスカーナの公爵が勇敢に敵を打倒していったことを象徴してカラバッジョに描かせたといわれています。

7. バッカス ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ Bacchos
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオが1595年頃にデル・モンテ枢機卿の元で過ごし始めてすぐに制作された作品で、1913年にウフィツィ美術館の保管室で発見されました。

8. パラスとケンタウロス サンドロ・ボッティチェッリPallade e il centauro
サンドロ・ボッティチェッリが1482年ごろに制作された作品で、上半身が人間・下半身が獣のケンタウロスは人間の獣性を象徴しており、学問の女神パラスがその髪をつかみ取りおさえ人間の獣性に勝る女性の知性、美、理性を描き、花嫁の貞潔を表しているといわれています。

9. 東方三博士の礼拝 レオナルド・ダ・ヴィンチ The Adoration of the Magi
レオナルドダヴィンチによる未完成の作品です。1481年にフィレンツェのサンドナートのアウグスチノ修道士から依頼を受けたものの、翌年ミラノに向けて出発したため絵画は未完成のままとなりました。2017年に修復工事を終えて、再公開されました。

10. リュートを弾く天使 ロッソ・フィオレンテフィーノAngiolino musicante
ロッソ・フィオレンテフィーノが1521年に制作した作品で故郷を離れて旅に出ていた途中で描かれた可能性の高い作品とされています。

11. ウルビーノ公夫妻の肖像 ピエロ・デラ・フランチェスカ Doppio ritratto dei duchi di Urbino
ピエロ・デッラ・フランチェスカによって、1474年にフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが侯爵から公爵に陞爵した記念の肖像画とも言われています。完成後はウルビーノのドゥカーレ宮殿の謁見の間に飾られていましたが、モンテフェルトロ家からウルビーノ公爵位を引き継いだデッラ・ローヴェレ家の最後の一人であったヴィットリア・デッラ・ローヴェレがメディチ家に嫁ぐ際に持参金の一部として持ち込まれました。

12. 荘厳の聖母 ジョット・ディ・ボンドーネ Maestà di Ognissanti
ジョット・ディ・ボンドーネによって1310年頃に制作された作品です。オニサンティの聖母とも呼ばれています。
ジョットがフィレンツェで描いた唯一の板絵であると考えられています。西洋美術史上最も重要な作品のひとつとして知られています。

13. キリストの洗礼 アンドレア・デル・ヴェロッキオ とレオナルド・ダ・ヴィンチ The Baptism of Christ
アンドレア・デル・ヴェロッキオ とその弟子、レオナルド・ダ・ヴィンチによって、ヴェロッキオのアトリエで1472年から1475年頃に制作された作品です。ヨルダン川で隠遁生活を送っていた聖人ヨハネの元へイエスキリストが来訪し洗礼を受ける場面を描いています。中央がイエス、右手が洗礼を受ける聖ヨハネです。

14. 長い首の聖母 パルミジャニーノ The Madonna of the long neck
パルミジャニーノによって1534年頃に制作された作品です。人体が長く引きのばされたマニエリスム特有の作品で謎めいた作品でもあります。キリストの右足の上にはうっすらと天使の顔があることから未完成の作品とも言われています。

15. 聖家族 アーニョロ・ブロンズィーノ Panciatichi Holy Family
アーニョロ・ブロンズィーノによって1540年ごろに制作された作品です。フィレンツェの政治家バルトロメオ・パンチアティキによって注文されました。聖母マリア、夫のヨセフ、イエス、洗礼者ヨハネが描かれています。

16. サンタ・トリニタの聖母 チマブーエ Madonna di Santa Trinita
チマブーエによって1290年から1300年に制作された作品です。サンタトリニタ教会の絵で現在はウフィツィ美術館に収蔵されています。この作品の特徴は下部分にエレミヤ、イザヤ、アブラハム、ダビデの四人の預言者を描いていることです。

17. ご訪問の祭壇画 マリオット・アルベルティネッリ Visitation
マリオット・アルベルティネッリによって1504年に制作された作品です。聖母マリアが天使から受胎告知を受けたころに聖母マリアの親族であるエリザベトも懐妊し、神の偉大な力に驚き賛美した聖母マリアがエリザベトの家を訪問した様子を描いています。

18. ザクロの聖母 サンドロ・ボッティチェッリ Madonna of the Pomegranate
サンドロ・ボッティチェリによって1487年頃に制作された作品です。聖母マリアと6人の天使とザクロを手にしたイエスを描きました。ざくろはキリストの復活の象徴とされています。

19. 受胎告知 シモーネ・マルティーニ Annunciazione tra i santi Ansano e Massima
シモーネ・マルティーニと義弟のリッポ・メンミによって1330年から1350年頃に制作された作品です。1799年にピーター・レオポルド大公爵がフィレンツェに移動させるまでシエナ大聖堂に残っていました。ゴシック期の傑作として知られ、シモーネ・マルティーニの代表的な作品です。

20. 紳士の肖像 パオロ・ピーノ
パオロ・ピーノ(Paolo Pino)によって1534年頃に制作された作品です。
パオロ・ピーノはイタリア・ヴェネツィアで生まれました。1548年に最初に出版されたDialogo di pitturaの著者としてヴェネツィアの画家であり、芸術の理論家でした。