

みなさん、こんにちは。フィレンツェ、ウフィツィ美術館を訪れた時に撮影した芸術作品を紹介するコラムのパート3です。73作品の中の41〜60までをご紹介します。
今回ご紹介するウフィツィ美術館の20作品
41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60
作品 No.41〜60

41. 玉座の聖母子と聖人たち ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ
ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ(Gherardo di Giovanni di Miniato del Fora)によって1470年から1475年頃に制作された作品です。
彼はイタリアの画家で、彫刻家のジョヴァンニディミニアートデルフォラの息子としてフィレンツェで生まれました。メディチ家や、ハンガリーのマーチャーシュ1世に勤めました。
聖フランチェスコ、司教聖人、洗礼者聖ジョヴァンニ、聖マリア・マッダレーナが描かれています。

42. 幼きキリストへの崇拝 ロレンツォ・ディ・クレディ
ロレンツォ・ディ・クレディ(Lorenzo di Credi)によって1505年から1515年頃に制作された作品です。ロレンツォ・ディ・クレディはイタリアの画家でフィレンツェに生まれました。
アンドレア・デル・ヴェロッキオの工房で仕事を始め、ヴェロッキオの死後工房を引き継ぎました。

43. リュート弾きとの晩餐 ヘラルト・ファン・ホントホルスト
ヘラルト・ファン・ホントホルスト(Gerard van Honthorst)によって1619年から1620年頃に制作された作品です。オランダの画家でイタリアでカラヴァッジォの絵に感銘を受け、カラヴァジェスキとして知られています。明暗対照画法の描写から夜のゲラルド=イタリア語でゲラルド・デッレ・ノッティ(Gherardo della Notte)と呼ばれました。

44. 結婚式の晩餐 ゲラルド・デッレ・ノッティ
ヘラルト・ファン・ホントホルスト(Gerard van Honthorst)によって1613年から1617年頃に制作された作品です。

45. 荊刑のキリスト バルトロメオ・マンフレディ
バルトロメオ・マンフレディ(Bartolomeo Manfredi)によって1615年頃に制作された作品です。
バルトロメオ・マンフレディはイタリアの画家でカラヴァッジォの絵に感銘を受けたカラヴァジェスキの一人です。

46. シーザーへのオマージュ バルトロメオ・マンフレディ
バルトロメオ・マンフレディ(Bartolomeo Manfredi)によって1610年から1620年頃に制作された作品です。

47. 騎士ピエトロ・セッコ・スアルドの肖像 ジョバン・バッティスタ・モロー
ジョバン・バッティスタ・モローニによって1563年頃に制作された作品です。
1545年からヴェネツィア駐在大使を務めた同郷のピエトロ・セッコ・スアルド伯爵の肖像が描かれています。

48. エレオノーラ・ゴンザーガの肖像 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio)によって1536年から1537年頃に制作された作品です。盛期ルネサンス期に最も活躍したヴェネツィア派の巨匠。1516年からヴェネツィア共和国の公認画家となり画家としての業績を重ねていきました。1530年以降はスペイン国王、神聖ローマ帝国皇帝のカール5世から愛願を受けました。ヴェネツィア派の特徴の鮮やかに彩色された色彩の魅力を存分に発揮しました。

49. スザンナの水浴 ロレンツォ・ロット
ロレンツォ・ロットによって1517年頃に制作された作品です。入浴中のスザンナが言いよる二人の老人を拒絶するという聖書のエピソードを描いています。

50. アドニスの死 セバスティアーノ・デル・ピオンボ La Morte di Adone
セバスティアーノ・デル・ピオンボ(Sebastiano del Piombo)によって1512年頃に制作された作品です。セバスティアーノ・デル・ピオンボはヴェネツィアで生まれ、ルネッサンス期にヴェネツィア派の配色とローマ派の構図で活躍したイタリア人画家です。
ジョヴァンニ・ベッリーニのもとで修業し、ジョルジョーネの影響を受けてヴェネツィアで活躍し、その後ローマで働いている間、ミケランジェロやラファエロの芸術にも影響を受けました。

51. エジプトへの逃避途上の休息 コレッジョ Riposo durante la fuga in Egitto
コレッジョ(Correggio)=本名はアントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(Antonio Allegri)によって1517年から1519年頃に制作された作品です。コレッジョ市のサン・フェランチェスコ聖堂ムリーナ礼拝堂のために描かれました。ベツレヘムに生まれたイエスの影響を恐れ、同地の全ての新生児の殺害を企てユダヤの王ヘロデが放った兵士から逃れるために、イエス一家(聖ヨセフ、聖母マリア、幼児イエス)がエジプトへ逃避する場面を描いており、そこに聖フランチェスコが新たな登場人物として加えられています。

52. ジョバンニ・デ・メディチの肖像 ブロンズィーノ
アーニョロ・ブロンズィーノ(Agnolo Bronzino)によって1545年ごろに制作された作品です。
初代トスカーナ大公でフィレンツェの名門のメディチ家の一人であるコジモ1世の注文によって描かれました。ブロンズィーノはコジモ1世の宮廷画家で、コジモとその家族の肖像を数多く手がけています。ジョバンニ・デ・メディチはコジモ1世の次男として生まれ、そのジョバンニが1歳半頃の肖像画です。

53. エマオの晩餐 ヤコポ・ダ・ポントルモ Cena in Emmaus
ヤコポ・ダ・ポントルモ(Jacopo da Pontormo)によって1525年頃に制作された作品です。
エマオの晩餐という作品は宗教画で多くの画家が描いている題材で、新約聖書に出てくる話では、
復活したキリストが弟子たちの前に現れ、弟子たちと夕食を共にした場所がエマオ(地名)です。

54. 洗礼者聖ジョヴァンニの誕生 ヤコポ・ダ・ポントルモ
ヤコポ・ダ・ポントルモ(Jacopo da Pontormo)によって1526年から1527年頃に制作された作品です。ポントルモイタリア・フィレンツェのマニエリスム期の画家で、アンドレア・デル・サルトの弟子です。
ルネサンス様式から逸脱した絵画のことで、ねじれたようなポーズ、間延びした骨格、不自然な遠近法や陰影表現などが、マニエリスム絵画の特徴です。

55. 聖母子と聖人たち ロッソ・フォレンティーノ Madonna in trono con il Bambino e i quattro santi
ロッソ・フォレンティーノ(Rosso Fiorentino)によって1518年頃に制作された作品です。フィレンツェのオニサンティ聖堂内祭壇画として依頼されたもので、オニサンティ祭壇画とも呼ばれています。ロッソ・フォレンティーノ(Rosso Fiorentino)はポントルモとともにマニエリスムを代表するイタリアの画家の一人です。

56. 聖ベルナルドの幻視 フラ・バルトロメオ
フラ・バルトロメオ(Fra Bartolomeo)によって1504年から1507年頃に制作された作品です。ベルナルドゥスの前に天使とともに聖母が現れる場面を描いています。
フラ・バルトロメオ(Fra Bartolomeo)は、本名バッチョ・デッラ・ポルタ (Baccio della Porta) と言います。フィレンツェで生まれ生涯の大部分をその地で過ごしました。ラファエロから遠近法の技法を学び、ミケランジェロや、レオナルドダヴィンチからも影響を受けました。

57. 磔刑と聖ジローラモと聖フランチェスコと聖マリア・マッダレーナと洗礼者聖ジョヴァンニとベアート・ジョヴァンニ・コロンビーニ ペルジーノ
ペルジーノによって1492年頃に制作された作品です。
ペルジーノの本名はピエトロ・ヴァンヌッチといいます。ペルージャ近郊、チッタ・デッラ・ピエーヴェで生まれ、フィレンツェにあるヴェロッキオの工房にて油彩を習得しました。ルネサンス期のイタリアのウンブリア派を代表する画家として知られています。

58. 玉座の聖母子と2天使と聖人たち ドメニコ・ギルランダイオ
ドメニコ・ギルランダイオによって1479年頃に制作された作品です。フランドル派の描写の影響がみられる作品です。光沢は金を使用せず絵の具だけで描いています。

59. 幼きキリストを崇拝する聖母 コレッジョ
コレッジョ(Correggio)=本名はアントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(Antonio Allegri)によって1518年から1520年頃に制作された作品です。依頼主はルネサンス末期の伝記作家、ジョルジョ・ヴァサーリとされています。コレッジョ(Correggio)は、イタリアのコレッジオ出身で、パルマ学校で最も重要であったルネッサンス期の画家です。バロック様式の芸術家に大きな影響を与えました。

60. 聖母戴冠と聖人たち サンドロ・ボッティチェッリ Incoronazione della Madonna e quattro santi
サンドロ・ボッティチェッリによって1488年から1490年頃に制作された作品です。
フィレンツェのサンマルコ修道院内のサンタロ礼拝堂のために制作されました。
ファブリツィオ・ルカリーニによる約10年間の修復作業後さらに、約60年後にピエトレ・ドゥーレ工房による修復作業によって現在の状態まで修復されています。
現在、外務省の感染症危険情報レベルにて、イタリアは引き続き「レベル3:渡航は止めてください。(渡航中止勧告)」が発出されております。
12月2日緊急政令第158号が官報に掲載されました。
●本緊急政令の主な規定の概要は以下のとおりですので、ご留意ください。
(第1条2項)
・2020年12月21日から2021年1月6日まで、全土において、州・自治県を越えた移動は禁止される。
・2020年12月25日、26日、及び2021年1月1日は、証明される仕事上の理由、必要性のある状況、又は健康上の理由に動機付けられる移動を除いて、自治体(コムーネ)を越えた移動は禁止される。
・いずれにせよ、自身の住所・居住地・居所への帰還のための移動は許可されるが、他の州や自治県にあるセカンドハウスへの移動は禁止される。
・2020年12月25日、26日及び2021年1月1日は、他の自治体(コムーネ)にあるセカンドハウスへの移動も禁止される。
(第1条3項)
・2020年12月21日から2021年1月6日の期間においては、州ごとのリスクおよびシナリオレベルの分類とは関係なく、別途首相令によって特別な措置が規定される場合がある。
11月3日首相令が首相府ホームページに掲載されました。
●本首相令の規定は、10月24日首相令の規定に代わり、11月6日から適用され、12月3日まで効力を有します。
●本首相令では、例えば、以下のような新たな感染防止措置が規定されています。
・夜間の移動制限(「22時以降翌朝5時までは、証明される仕事上の理由、必要性のある状況又は健康上の理由に動機付けられる移動のみが許可される。」)。
・美術館、文化施設等の市民への開放停止。
・土曜日、日曜日、祝日、そして祝日の前日には、ショッピングモール内及び市場内の商店は、薬局、ドラッグストア、衛生用品販売店、食料品取扱店、タバコ屋及び新聞雑誌売店を除き閉鎖。
・関係規則を遵守の上、宅配サービスは引き続き許可され、持ち帰りサービスは、店舗近辺で飲食しないことを条件に、22時まで営業可能。
●また、今後一部の州・地域においては、更なる予防措置が導入される予定です。具体的には、感染状況や感染リスクに応じ、保健省命令によって指定されることとなりますので、ご注意下さい。
●なお、日本からイタリアに入国する者に対して課される14日間の自己隔離等義務(一部例外あり。)に変更はありません。
●詳しくは、本首相令の新たな規定に焦点を当てた抄訳を在イタリア日本国大使館のホームページに掲載しましたので、以下のリンク先でご確認ください。
https://www.it.emb-japan.go.jp/itpr_ja/covid_19_20201103DPCM.html
(外務省・海外安全ホームページより抜粋)