
奈良県吉野郡吉野町吉野山にある吉水神社へ行ってきました。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一つで吉野の桜の名所の一つでもあります。
吉水神社
- 場所:〒639-3115 奈良県吉野郡吉野町吉野山579
- 拝観時間:9:00〜17:00 (受付16:30まで)
- 拝観:書院拝観料 大人・大学生:600円 高校生・中学生:400円 小学生:300円
- アクセス:吉野山ロープウエイ 吉野山駅から徒歩20分
金峯山寺の格式高い僧坊で吉水院とよばれていました。
明治初期の神仏分離令が発令された後、後醍醐天皇と楠木正成を祭神とする神社となりました。
- 南北朝時代に後醍醐天皇の行宮となった。
- 源義経が静御前・弁慶らと源頼朝に追われた時に身を隠した場所。
- 豊臣秀吉が花見の本陣とした場所。
としてよく知られています。



吉水神社書院内 南朝皇居
源義経・静御前 潜居の間
1185年、源頼朝の追手から逃れた源義経と静御前が、弁慶と共に潜居した部屋です。



潜居の間に、弁慶が思案したと伝えられる場所もあります。



源義経の鎧なども展示されていました。
鎧のサイズがとても小さくて、小柄な人だったのだろうと想像できました。
後醍醐天皇 玉座
御所造りの桃山式書院です。
後醍醐天皇は1336年に吉野に逃れ、吉野朝廷を開き、以後南北朝併立時代が始まりました。

太閤(豊臣秀吉)花見の品
1594年、豊臣秀吉が、吉野山で盛大なる花見の宴を催しました。
その際の本陣となったのが吉水神社です。数日間にわたってお茶の会、能の会、歌の会を開いたとされます。
徳川家康、前田利家、伊達正宗らの武将も引き連れたそうです。

豊臣秀吉愛用の金屏風 「桜の図」(苅野永徳筆)
文化財・宝物展




北闕門 (邪気祓い所)


書院内にある北闕門(ほくけつもん)は、元々は修験者が大峰山から無事に下山できるように祈る場所でしたが、後醍醐天皇が京都に凱旋できる時を念じてこの北闕門に立ち、九字を着られたと言われています。
修験道では、邪気を払い、結界を張る九字紋(早九字護身法)とというものがあります。
未来に待ち受ける災難などの『悪い気』を事前に取り祓うために自ら行う護身法で、
●北闕門のそばに作法の説明書きがあります。
●足下には、九字紋用の岩板が用意されています。
●門の手前で45度の角度でお辞儀をし、次に北闕門前に進み、15度でお辞儀をします。
●九字紋用の岩板の五芒星の上に上がり、手を刀の形にして目を閉じ、腹式呼吸を3回行い、気持ちを整えます。
●九字切りの印の上へ上がり、左手は刀の鞘として腰に当て、右手の刀印で水平に真横にします。
●右から左、次に上から下へ順番空を切りながら、「臨(りん)・兵(ひょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(じん)・烈(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)」と大きな声を出し九字を切ります。
●九字を切り終わったら右斜め上から左斜め下へ「エイ!」と勢いよく刀を振り下ろします。
●再び刀を鞘に収めるように最初の刀の形にして「セーマン・ドーマン」と3回唱えます。
●初めとは逆の順で、北闕門前で15度でお辞儀をし、門の手前で45度の角度でお辞儀をします。
吉野山は修験道の聖地ですが、こちらも吉野山屈指のパワースポットになっています。
※北闕門へは参拝料が必要です。
弁慶の力釘
吉水神社書院の僧房に源義経がかくまってもらっていると知った源頼朝の追手がやってきた時、
弁慶は、
「やあやあ 我こそは弁慶なり。力自慢をいたそうぞ」と言って、この石に力を込めて親指で釘2本を打ち込んだ。
と言い伝えられています。
後に豊臣秀吉も吉野の花見に滞在した折に、「弁慶力釘に力をもらいたい、力を!」と言って
この石に触れたそうです。

この石を触ると元気と勇気をもらえるそうです。
こちらもパワースポットですね!